レビュー野郎 Bチーム

わけのわからないことで悩んでます(笑)

NOPEの解釈と芸術の意義

今日、NOPEっていう映画を見て来ました

中々、面白かったです

 

www.youtube.com

内容については色々考察できる

と思うんですよね

youtubeとかにも、いっぱい載ってます

www.youtube.com

解釈、考察するのは自由ですよね

でも、あからさまに作り手側が

こういう事(例えば差別とか)を表現したくて

こういう映画、シーンを作ったって

もし言うとしたら

(実際の監督が言ってるかは知りませんが)

何かちょっと寒くないですか

(シラケませんか)?

そういうのって

 

映画って何って話になると

思うんですけど

 

映画を解釈だらけ

解釈のみで捉えるとしたら

つまり左脳、理性で

ガチガチにとらえるだけなら

ちょっと、寂しいですよね

 

メッセージ性も重要だと

思うんですけど

映画には芸術性が混在していて

欲しいと思いませんか?

 

実存に触れうる

言葉、解釈を抜きにした

右脳で感じるものが

欲しいですよね

 

もちろん、監督が

どういうつもりで

作ったかは知らないですけど

 

メッセージを伝えたいなら

変な解釈に乗せない方が

ストレートだと思いませんか?

 

つまり、隠喩しないで

直接的に表現した方が

ダイレクトに伝わると思いませんか?

 

例えば差別だったら、人間同士の

リアルな演技で

直接的に伝わりますよ

その演者の表情、振る舞いを

見ればそこに観客は

実存を感じます

観客の実存に触れ得ます

 

解釈をワンクッション

挟むことは

言語のフィルターを通します

 

その時、実存からは離れてしまいます

実存は言葉、解釈なしに

直接、触れ得なければならない

 

もし、芸術が作者や見ている者の

実存の救済であるなら

言葉は却って妨げになるものです

 

もちろん、映画=芸術とは限りませんが

 

あの謎の飛行生物が何を隠喩してるのか

全てが見世物化している現代社会を

この映画が揶揄しているのか

分かりませんが

 

人種差別だとか、動物差別だとか

はたまた、消費社会だとか何とか

そういうものに

私はリアリティーを感じません

 

特に社会のメタファーとかは

最たるもので

そんな抽象的なもの

リアリティーを感じるわけがない

 

頭で考えることはできますよ

でも、私の実存には響かないんです

 

実存に響く人もいるのかもしれません

例えばここで想定される

被差別者だったりが

そうかもしれません

 

でも、直接的じゃないから

どうなんでしょうか?

私は当事者じゃないので

分かりません

 

でも、実は、私はいつも

人の目を気にして

ビクビクして生きているので

この映画における

「見られるもの」っていうのは

ちょっと感じるものがありました

 

飛行物体は見世物、被差別者

のメタファーだと想定され

その反逆みたいな

感じですよね多分、この映画は

 

見られていたものが見つめるものになり

相手を殺しにかかるといった

感じでしょうか

 

「見る」か「見られるか」は

生きるか死ぬかの戦いですよね

見られた方は見た方に所有され

精神的自由が亡くなるという意味で

殺されます



でも、見られた方は相手を同時に

見ている者でもあるから

どっちが所有者(差別者)か

最終的には分からなくなる

特に1対1では

 

私はラストに

人の目(評価)からの解放

自由をそこに見ました

 

なぜなら、私には

そこにリアリティーがあるからです

一般的な解釈ではないでしょう

 

この映画を解釈を採用しない

子供が見たら

微妙と言うんじゃないでしょうか

もっと、エンターテイメント性の高い

映画はありますし、、、

(エンターテイメントとして結構

私は楽しめましたが、怖かったし、、)

 

社会的メッセージが伝えたかったら

リアルなドキュメントとか

もっと、有効な手段があると思います

 

でも、解釈だらけで

したり顔の現代人には

有効かもしれませんね

 

逆に監督がそこを見越して

小ばかにしてるとしたら

面白いですけどね

また~何か

ゴチャゴチャ考えてるよ(笑)

みたいな