レビュー野郎 Bチーム

わけのわからないことで悩んでます(笑)

チャールズ・マンソンのインタビューが面白い 彼にアダルトチルドレンである自分を見る

 

 

チャールズ・マンソン

っていうカルト的な

アメリカの犯罪者のことを知ってますか?

チャールズ・マンソン - Wikipedia

 

カルト宗教の教祖みたいな

ポジションにいて支持者に殺人を

示唆したみたいな感じの人です

 

終戦争(ハルマゲドン)とかいってて

某教団の教祖にちょっとだぶりますね、、

 

ロマン・ポランスキーっていう

有名な映画監督の奥さんを

惨殺した(それを指示し共謀した)

事件が凄く有名ですよね

 

もう5年前に刑務所の中

亡くなってるけど

今なお、強烈なインパクトを

残していますよね

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歌なんかも出してます

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マリリン・マンソンという

ちょっとヤバい歌手の

名前の由来にもなってます

👇マリリン・マンソン

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そのチャールズ・マンソン

興味深いインタビュー👇を見つけました

 

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気持ち悪いですよね

「あなたは誰ですか?」

という質問に百面相のように

奇怪な動きをした後

何とも言えない表情で

「私は誰でもない」

って答えてます

 

溶鉱炉に落ちたT-1000のような

実体がない「なにもの」かを思わせます

 

何にでもなれるけど

何でもない存在

 

逆に何かそこに人を惹きつける所以が

あったんじゃないでしょうか?

 

それは悪い方向に行ってしまったけど

人を惹きつけることができなければ

信者を引き連れることは

できないはずです

 

恐らく父母から養育を受けなかったことで

自らの自我生成のモデルがなく

自我の生成が不十分となった

そして現実感から遊離した意識

即ち変性意識に近い意識は

強力な磁場となり信者と共鳴した

他人をコントロールすること、即ち

変性意識状態にして洗脳する為には

自らも変性意識状態でなければならず

そこにおいて一種の天性が

彼にはあったはず

 

もちろん犯罪者を賛美するわけでは

ないですが、多分彼は普通ではなかった

 

彼には自分がなかったが

逆に誰にでもなることができた

だから信者と共鳴することができた

そして、それは大きな魅力だった

 

しかし、彼は不幸なような

感じがしますよね

誰でもないって言うときの

表情がそれを物語っている

 

彼は小さいころに自分を殺されたのか

生まれさえしなかったのか

いずれの理由で自分がなかったかは

分かりません

 

しかし、彼は多分、被害者なのです

彼を作ったのは彼ではなかった

子供の時に自分で意志して

「よし、こんな自分になろう」と

思う人はいますか?

いつのまにか「彼」という存在は

作られていたのです

しかし、ある時期から

軌道修正できたはずだという意見が

あるかもしれません

自らの意志で変われたはずだと

しかし、変わろうとする意志自体は

意志出来ません

意志は意志出来ない

意志はどこからか降ってくるものです

彼自身が自由に意志することはできない

 

その人が変われるか

そして、その意思を持ち得るかも

環境に基底されるものだと思います

例えばある不遇な幼少期を過ごした

2人の子供がいるとします

一人は立ち直れたけど

もう一人は立ち直れなかった

その違いは結局実は

立ち直れた方が環境に恵まれていた

という話にすぎません

つまり、立ち直れないほどには

痛めつけられてはいなかった

そういう環境に育てられた

ということにすぎません

 

実は私たちが思っている以上に

自分でコントロール

できることは少ない

と思うんです

 

生得的なものはもちろんそうですし

環境による影響もそうです

子供なんて空白の白紙なんだから

環境に染められるに

きまってるじゃないですか

その紙も違う環境に入る事で

書き換えられると?

紙に書いてある内容通りに

生きるからその紙に書いている内容と

似ている環境しか囲むことが出来ないんですよ

紙に書いてある環境に

似ているけど微妙に違う環境と

フィードバックしながら

小さい変化を積み重ねて

少しずつ書き換えて

いくしかないんですよ多分

でもそれも実はかなり難しいと思います

それが出来たと思っても実はそれは

書き換えられたんじゃなくて

最初から紙に書いてあったことの

解釈が変わっただけです多分

 

実は元々、紙の内容、即ち自分と

環境は異なるものではなく

一つなんですよ多分

自分を外部に

表出したものが環境なんですよ

紙の内容=自分と無関係に

環境=世界があるんじゃない

紙の内容=自分の中にあるもの以外

環境には見いだせない

紙に書いていないことは見えない

だから環境は自分そのものです

 

メタ思考で紙の内容を高い視点から見て

紙の内容を少なからず客観的に

認識して書き換えることが

できるかもしれないけど

メタ思考だってあくまで

自らの視点からのメタ思考です

メタ思考している思考主体自体は

思考できない

自らの視点を外から見る事は出来ない

自らの眼球を自ら見ることは出来ない

 

例えばある事柄、情景

なんでも良いですが

Aさん、Bさんという二人の人が

客観的にそれを記述したとします

どんなに客観的に記述しても

その二人の書いた内容は

微妙に違うはずです

どんなに客観的に書いても

AさんはAさんを表しているし

BさんはBさんを表してるはずです

完全な客観なんてないんです

同じようにメタ思考にも

自分が表れている

 

私がなにが言いたいかというと

犯罪者の成育歴、育った環境は

劣悪なことが多い

それは社会的データとしてあるはずです

共有されてるはずです

 

だから、犯罪者に全面的な責任を

負わせるのは酷な面があると

正直思うんです

なぜなら彼らを作ったのは

彼らではないからです

生得+環境なんです

正確に言うと幼少期の環境です

そして自ら環境を変化させること

そして環境の変化による

自らの変化が難しいことも

上に述べてきたとおりです

彼ら自身の力で

どうにかできる事ではない

 

同じことがアダルトチルドレンにも

言えると思うんです

ロジックは上で述べてきたことと

同じことです

 

世間では肉体的虐待には

焦点が当てられますが

精神的虐待はあまり注目されていない

物理的現象として肉眼で捉えずらい

精神的虐待は把握しずらいのでしょう

肉体的に虐待を受けていなくても

精神的に虐待を受けてることはあります

逆に上手い奴は肉体的に虐待せず

精神的に虐待を加え相手を

コントロールします

暴力を使わずしてコントロールできる

奴の方が知能犯で手練れに

決まってるじゃないですか

暴力を受けていないから

非難するのも変な罪悪感が出てしまう

そっちの方が実は強敵で

相手を強烈に憎めないし

清算できないから

長期間に渡って生殺しにあう

ようなものです

ガチで殺されかけるより実は

キツイかもしれない

 

俺は生殺しにあってる方かな

誰にも分かって貰えないかも

しれないけど

 

俺にはチャールズ・マンソン

「私は誰でもない」

っていうのよく分かりますよ

 

俺は自分を殺されたんです

自分は心の奥底で

原型をとどめないで

ヘドロみたいな形状で

うごめいています

それは、捉えようがない

 

自分がないから欲望もない

少なくとも社会一般に沿った形

即ち他人の欲望といった形でしか

欲望は生まれえない

自分自身の欲望はないんです

なぜなら自分がないからです

欲望がないなら

死んでるようなもんじゃないですか

欲望のもと人間は行動する

すなわち生きていくんでしょう

ただ、食べて寝るだけだったら

動物でしょう

しかも、苦しい意識がある分

動物よりも、よっぽど辛い

他人の欲望しかないからって

他人を生きるんですか?

とても空しいですよ

他人の欲望だから

本気にはなれないし

楽しくない

自分の欲望で

自分を生きたいですね心から

それはもう難しいかもしれないけど

 

神様でも誰でもいいから

私に自分を与えてくれないですかね

それさえあれば私は頑張れるのです

欲望さえ生じれば私は頑張れるのです

イキイキした人生を生きてみたい

 

世間は魂の殺人にもっと気をやるべきだ

子供を殺すことで自らを取り戻そうとする

化け物の存在を知らないんですか?

化け物はいつまでも貪りつづける

自分を取り戻そうとする目的は

ついぞ達成されえないから

 

化け物はかつて自分を殺された子供だった

カルマは続いているんですよ

それは永劫続くんです

解脱できた人間はいるんですか?

 

世間は自分を殺された人が

自分を取り戻すことに

もしくは自分を生み出すことに

もっと時間と猶予を与えるべきだ

社会的な体面など、どうでもよい

年齢も関係ない

皆が自分を取り戻し

自分自身の欲望に沿って

生きれば社会はイキイキとして

GDPも上がるでしょう

他人の欲望で他人を生き

死んだように働いて

生産性が上がるわけないでしょう

 

なんだか空しくなってきました、、

カルマからの解脱は難しいですよ

そう簡単じゃない、、

でも確かに振り返ってみると

私には自分があった

それは抑圧されてしまって

もうほとんど見えないけど

 

もしかして、最初から自分なんて

無かったんだろうか?

無いんだろうか?

関係性の結び目が自分で

自分があるなんて、そもそも幻想なんじゃないだろうか?

そう思うことがあります

 

やっぱり、そんなことはない

子供の時のわずかな欲望の発露を

大切に育んであげれば

自分は育つはずです

そしてそれが導いてくれるはず

即ち、欲望に従ってたくましく

生きていくことができるはず

 

直観的、感覚的でしか捉えられないけど

自分はあるんですよ、やっぱり

若い時分はそのことに気づかなかった

そして、殺されていたことにも

気づかなかった

そして、むやみやたらに

苦しかった

 

何だか凄くつかれたんで

もうやめます

 

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